家への敗北
この間、家出を企てる少女がいた。
18歳、高校を卒業して、もうすぐ次の誕生日を迎えるころだった。
彼女は家族と住んでいて、自身で金銭的精神的援助のために望んだ生活ではあったものの本当は自由になりたいと思っていた。
自由とはなにか、まだ知らなかった。
しかしここに自由がないということだけを知っていた。
そしてなによりこの家にいてはいけない。なにか、自分を急き立てる声が聞こえる。どこかに逃げるんだ、と。
家庭に問題はあった。父親がいないがそれではない。それは彼女がいないと家庭が安定しないということだった。
彼女がいなければ、母と妹が喧嘩したし、家事を母に任せきりにしてしまうことにもつながった。
母は、肝臓の病気でうつ病でもあった。
ついでに彼女は高校3年のときから自律神経失調症にかかっていた。
離れられるわけがない、
私は不健康だし、無力だし。そう思っていた。
私がこの家で自分の重要な役割を果たせばいいのよ。
しかしそれは誤っていることにある日気づいたのだ。
それは自由ではない。この家がもし自由を含んだ家ならば、彼女がいなくてもいいはずではないか?
なぜなら、皆自由である代わりに彼女の自由も尊重されるはずだからだ。
何も、迷惑をかけたいわけじゃない。外に出たいだけなのだ。
それは罪なのか?
家に拘束されて十数年、もはやその問いは無意味だった。
いままで多くの罪を犯してきた彼女だったからだ。そして罰せられてきた。
家から逃げたいがために誘惑した男性を愛せなくて浮気を繰り返し、悪い噂で女としてのプライドは墜落。自分を淫乱だと思ってしまい異性と話せなくなるほどまで追い詰められた。
家から逃げたいがためにすがった友人に同じ苦しみを知っていることを期待したことで、相手を困らせた。関係は長続きせず、友達をつくるのをやめた。
いろんな人を傷つけて、その罰をおって一人になった。
家をでることも罪ならば、その罰を背負ってやろう。
彼女はそう思い立って急いで荷造りをし、口座の貯金をすべて下した。
行く当てはとくになかったが、この金ならホテルで1週間はいられるはずだと思った。
しかし貧乏人としての金銭感覚でそれは贅沢ということになり
安い女になって男を捕まえることにした。
あいにくそれは失敗した。頼めそうな相手には頼みたくなくて、よくわからないが見た目が好みの男に迫った。
相手もよくわからない女の子に、家出してるから簡単に股を開くぞと暗に言われても既に予定があった。
本当だったら、したかったのかもしれないけど、人見知りの男だったのでそのまま逃げられた。
後になってからしようなんていわれても遅い。
私にはその時しかなかった。
仕方なくネットカフェで寝泊まりすることにした。
それが私の敗北の原因である。
ちゃんとしたふとんかベットじゃないと寝れないような神経質だったのだ。
おまけに延々と電気がつけっぱなしだった。
おかげで一睡もせず次の日仕事で終わるころには家出をやめようと思った。
ひとまず帰ったら死ぬように眠った。
しかし今日は寝れない。
妹に言われた言葉が引っかかっていた。
「置手紙をみたとき、いつかこういう日がくるって思ってたんだ」
家をでたときの置手紙の仰々しさを思い出した。私はあんなに本気だったのに。
なんで帰ってきちゃったんだ。
「あんなに自由になりたかったから」
その通りだよ、妹よ、君は私をよく知ってるね。
私はずっと自分をごまかしてきたのに。
馬鹿なんじゃないだろうか。
彼女はなんとしてもまた家から抜け出す祭壇をつけるつもりだ。
こんな情けない話があるか、一晩で帰ってくるなんて。
カーテンで遮光された部屋とふとんのために!
そして同時に、食べること、寝ること、清潔でいられること、これらが尊重されてこそ最低限の文化的な生活といえるのだなというのを肌で感じることができた。
それをいままで一人で与えてくれた母には感謝してる。
私を引き留めたくなるのもわかる。
恩返しがほしいのも知ってる。
この家の人間はみんな孤独なんだ。
彼女は人のことならよくわかってた。だけどこれからは自分のことをしっかりしなければならない。
この敗北を忘れはせずに、今度は食べ物も布団もすべて私のものがあるはずだ。
自由の対価を払える人間に…